第602弾
信長の野望 将星録
最近(2012/10)実家の本棚から発掘した『信長の野望 将星録』の武将FILEを読んでいるが・・・
薄田兼相の能力値は実に酷い(汗)
大坂冬の陣で失態を演じたことから橙武者と呼ばれる豊臣家家臣、薄田兼相。
橙は見かけは立派だが味は悪く、正月飾りくらいにしか使えない。
つまり橙武者とは『見た目は立派だが役に立たない』という意味である。
400年経った今でも散々な言われようの薄田兼相。かく言うロングソード連合隊長も、
「この世に二つの見かけ倒しあり。ツヴァイバイニヒと薄田兼相」と記したほどであるw
(ツヴァイバイニヒとはSFC「重装機兵ヴァルケン」に登場する中ボス。火力だけならヴァルケンの60倍だった)
そんな薄田兼相をHP後援者の皆さんはどう思っているか。
今回はミニアンケとして【薄田兼相の評価】を聞いてみた★
スイマー 橙武将とよばれた武将ですね。遊郭に行ってる最中に砦を落とされたというエピソードは評価を大きく落としてますよね。 薄田兼相は西国一の相撲取り、大阪城中一の怪力という逸話もありますし見かけ倒しというよりは本当に強かったと思います。それだけに妬む人物も多かったのではと思います。 三国志の張飛も強かったですが横暴な点が災いし最後は部下に殺されてしまいましたし私生活面で残念な結果になった武将という点では似ている気がします。 おそらく、実社会で考えるとダントツの成績を残している人間が夜風俗に行ってて次の日の大事な契約をすっぽかしてしまい契約が破棄されてしまったようなものかもしれません。そのような場合、「ダントツの成績」よりも「風俗に行ってて契約を落とした」人物として称されてしまうのが世の常。うちの会社でも不運にも遅刻してしまったデキる上司がいたのですが遅刻エピソードは酒の場ではよく話題になってしまいます。 まあ、薄田兼相がもし徳川側の人間であれば現代に伝わる評価は違っていたと思いますね。敗者側の歴史的なエピソードはあまりよくかかれないものですから(今川義元などは典型かもしれません)。家康もそれなりにひどいエピソードがありますが、どこかであっけない討ち死をしていたら(特に三方ヶ原の戦いでは攻め込まれてたらアウトでしたね)、かなり酷い評価になってたのではと思っています。 |
秋穂 ガードリーダーさん、私ショックです。 なにが? 私に歴史好きです。でも、 でも? 誰ですか?この人・・・。 大阪の陣が好きでないと絶対にたどり着けない人。 (調査中・・・) あっ、後藤又兵衛が戦死する原因を作った人! ピンポーン、大正解。 (ふつふつと怒りが・・・。) (ビク!!) 出陣が遅れた理由・・・霧がでていたから? そうだ。 砦を守ることができなかった理由・・・ (ビクッッ!!!!!) 私からは言えません。この人、さ・い・て・い。 ・・・(脂汗) それはともかく、この人の「信長の野望(天道)」ではすごい ことになってますね。統率30・・・低い!、武勇77・・・良いね!え? 他のパラメーターは一桁・・・。政治1・・・!! ・・・。 三国志の兀突骨 (ごつとつこつ)みたい・・・。 |
蒼皇 薄田兼相? ・・・・・ああっ!あのオレンジですか!(笑 最初は誰だかまったくわかりませんでした(汗 しかし、この武将、まえから思っていたんですが油断して遊郭で遊んでいたってのは武士としてどうかと思いますね。道明寺の戦いでは陣頭指揮をとって壮絶な最後を、となっていますが これも武将というよりやはり武者といったイメージをもたせますね。指揮下の兵がとても大変そうです。 ただ、大坂の陣みたいなとんでもない状況下でも遊郭って営業しているんですね(苦笑 むしろそちらの商売人魂に感銘をうけましたよ(笑 まあ、最後はオレンジらしく忠義に死ねたので良かったのではないかと思いますよ(笑 あとこの武将、あの第117弾で北陸侵攻組の中に名前がありますね。最後まで生き残れたのか気になってきました(笑 |
以上で聞き取り結果は終了。
さすがにマイナー中のマイナーだけあって、回答に協力してくれたのはわずか3名。
むしろ「3名もいた」というべきだろうw
今回のミニアンケ、この二人↑が動いてくれなかったのは残念だ。
両名とも戦国史は後援者の中でもトップクラスなので期待していたのだが・・・(苦笑)
おそらく二次元という名の【遊郭】に没頭していたのだろう(汗)
・・・・蒼紅さん、失礼な発言をお許し下さいw